家族が引退を祝ってくれた

昨晩はまた、大地震が有りました。TVを見ていて腹が立つのは、地震の専門家が「一昨日の地震は前震だった。今回のが本震と思われる。」と、またもや単なる後付けの解説でしかない。どうしてもっと正直に、かつ、正確に言えないのか?
「地震学は、この地震が本震なのか、前震なのか判断つかないのが現実のレベルであり、今後、本震が来るかもしれないし、そうでないかもしれない。分からない以上は本震はこれから来るとして備えるべきであろう。」などと。学者の第三者的単なる解説はうんざりです。

今日は小生の引退の慰労会を家族が催してくれました。女房殿と息子二人、娘三人で千葉市の花長で懐石料理です。懐石よりもメザシとおでん、冷奴が好きなのだが。


「引退」。いつまで働くかは難しいところですね。小生の会社では、年金の支給年齢に合わせて引退の年齢が60歳から65歳に徐々に引き上げられました。60歳で一旦退職は変わらず、別の処遇で雇用継続なのですが、働き続ける者と組織内の中堅層双方に不満がありますね。

働き続ける人は、急に年俸が減額されるのにかなり反発を持たれる方がとっても多いですが、小生の見るところ、仕事への懸命さは物凄く減退してるのが現実ですね。出世のために命がけで成果を出そうと頑張っている中堅に比べて、懸命さも体力、気力もそこそこ止まり。これでは現役時代の年俸は出せませんね。でも、高齢者はこれを自覚していない。「自分には知識と経験がある」と。30年も40年も会社員してると誰だって経験はありますよ。差別化できるほどの価値ではない。成果が出せるかどうかはその先の懸命さに掛かっていることの方が多いですね。そして高齢者に今後の役割をお聞きすると、「後進の育成」との回答が多い。そんなに多数の教育者は会社にとって不要なのですが、本人はそれに価値があると信じている。

一方現役社員のアンケートでは、60歳以上の高齢者を「口だけ出して、自分で動かず邪魔」だと感じている人が決して少なくない。

何歳で引退するかは、人それぞれの生き様、価値観で決めれば良いでしょうが、痛切に思うのは、自分が思うほど自分には価値がないということですね。

慰労会で子供達からプレゼントをもらいました。親父の嗜好に合わせて酒ばかり。バカラのグラス、スコッチ、森伊蔵、魔王。これは相当にブレーキをかけながら飲まないと体を壊しそう。




お店の演出もありがたい。和風の庭にシャボン玉。


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